負けることは嫌。でも、その経験が人を育てるのかもしれません。
失敗する機会を失った子どもたち

前回の記事では、人間関係を乗り越える力とレジリエンス(心の回復力)の関係について考えました。
今回は、そのレジリエンスを育てるために欠かせない「失敗体験」について考えてみたいと思います。
筋肉は負荷がなければ成長しない
ふたばはレジリエンスを筋トレに例えられるのではないかと思っています。
筋肉を強くしたいなら、ある程度の負荷をかける必要があります。
スポーツも同じです。
何度もボールを投げたり、走ったり、失敗したりしながら上達していきます。
では心はどうでしょうか。
実は心も同じなのではないかと思うのです。
- 失敗する。
- 叱られる。
- 負ける。
- 悔しい思いをする。
こうした経験を少しずつ積み重ねることで、人はストレスへの耐性を身につけていくのではないでしょうか。
心の負荷は見えない
ただし、ここで大きな問題があります。
筋トレなら重さがわかります。
スポーツなら初級、中級、上級とレベル分けできます。
しかし心の負荷は見えません。
同じ言葉をかけても、
「全然平気」
という子もいれば、
「ひどく傷ついた」
と感じる子もいます。
しかも、その違いは日によっても変わります。
- 体調が悪い日。
- 睡眠不足の日。
- 友だち関係で悩んでいる日。
- 親と喧嘩した日
そういった状況によってもストレス耐性は大きく変わります。
だから指導する大人は悩みます。
どれくらいの負荷なら大丈夫なのか分からないのです。
大人は負荷を避けるようになる
もし負荷が強すぎればどうなるでしょう。
- 落ち込む。
- 自信を失う。
- やる気をなくす。
- 学校に行けなくなる。
- 人間不信になる。
場合によっては心の病気につながることもあります。
そう考えると、大人は当然慎重になります。
- できるだけ傷つけたくない。
- 嫌な思いをさせたくない。
そう考えるのは自然なことです。
しかし、その結果として、
「負荷をかけない」
という選択が増えていくことになります。
するとどうなるでしょうか。
ストレス耐性を鍛える機会そのものが減ってしまいます。
耐性が育たないので、ますます小さなストレスにも弱くなります。
そして、大人はさらに負荷を下げようとする。
この繰り返しが、今の社会で起きている負のスパイラルなのではないかと感じることがあります。
では誰が負荷を決めるのか
ここで一つの疑問が生まれます。
適切な負荷は誰が決めるのでしょうか。
親でしょうか。
先生でしょうか。
上司でしょうか。
ふたばは難しいと思います。
自分の子どもですら、
「こんなことで落ち込むの?」
と驚くことがあります。
逆に、
「これは大丈夫だろう」
と思ったことが深い傷になる場合もあります。
他人の心を正確に測ることはできません。
だから本当は、本人自身が少しずつ自分の限界を知りながら成長していくしかないのかもしれません。
社会に出ると待っている現実
学校では配慮される場面が多くあります。
家庭でも守られています。
しかし社会に出るとそうはいきません。
理不尽なこともあります。
思い通りにならないこともあります。
努力しても負けることがあります。
誰かに認めてもらえないこともあります。
だからこそ、子どものうちに小さな失敗を経験することには意味があるのではないでしょうか。
小さな失敗ならやり直せます。
小さな負けなら再挑戦できます。
しかし失敗経験そのものが少ないまま大人になると、初めての大きな挫折が人生を左右してしまうこともあります。
負ける経験は本当に悪いことなのか
最近の教育を見ていると、
「負けて傷つく子がいるから」
という理由で勝負ごとを減らそうとする流れを感じることがあります。
もちろん、その気持ちは理解できます。
誰だって負けるのは嫌です。
悔しいです。
できれば勝ちたいです。
でも、だからこそ意味があるのではないでしょうか。
本当に悔しいと思うから努力する。
負けたくないと思うから工夫する。
うまくなりたいと思うから練習する。
その過程こそがレジリエンスを育てているように感じます。
ふたばは、子どもたちから大切なことを教わりました。
子どもは本来、勝負ごとが大好きなのです。
ということでレジリエンス教育②でした。次回は、子どもたちが夢中になる「最強王図鑑」やスポーツ、ゲームを例にしながら、「勝負ごと」がなぜレジリエンス教育につながるのかを考えてみたいと思います。

