1年ほど前、wataru katsurashimaさんがツイッターに投稿した画像が物議をかもしました。
登校されたのは小学3年生の息子さんが受けた光と影についてのテストの写真でした。
「時間がたつとかげのむきがかわるのはなぜですか?」
という問題です。息子さんは
「地球が回るから」
と解答しましたが、「不正解」にされてしまいました。理由は
「小学校で習ってないから」
これに対して父親のwataru katsurashimaさんは
と反論。
もっともな意見だと思います。中学校の理科の先生なら「正解」とするはずです。
この小学校の先生の中に
「テストは学校で教えたことを答えるものである」
という固定観念があったのだと思います。AI(人工知能)によって世の中の仕組みは大きく変わると言われています。教えられた方法でしか問題を解決できない生徒が必要とされるでしょうか?
自分なりに問題解決ができる人を育てなければならないと感じました。
とはいえ、先に塾などで知識だけを学習してしまったばっかりに思考力がつかない場面もあると思います。
例として、だ液の実験を上げたいと思います。
「でんぷんにだ液を入れるとヨウ素液に反応しなくなることから何がいえるか?」
という問題に対して生徒が
「だ液がでんぷんを分解したから」
と書いてきました。正直困りました。確かにだ液が分解しているのですが、この問題は
「実験からわかること」を問うています。
中学校の実験からは、「分解したかどうか」まではわかりません。正しくは、
「だ液には、でんぷんをでんぷん以外の物質に変えるはたらきがある」
だと思います。答えを知ってしまったばっかりに考えることをやめてしまった例だと思います。
科学の醍醐味は「なんでだろう?」を解き明かすことにあると思います。
理科では、何か問題を解決したときに次の問題がでてきます。
この例でいうと、「だ液はデンプンを分解しているのか?それともだ液とでんぷんが化合して別の物質をつくったのか?どうすれば確かめることができるだろうか?」というのが次の問いです。
これが本当の理科の楽しさだと思います。みなさんはどう思われますでしょうか?とにかく、知識だけを頭に詰め込んでも思考力はつきません。知識だけならインターネットでいくらでも検索することが出来ます。知識を利用して「何ができるか」は、時期学習指導要領のテーマでもあります。子どもたちには考える喜びを伝えていきたいと感じました。