他人を許すということはとても難しいものです。大人でもなかなかできるものではありません。キリスト教でも許す(赦す)ことはとても重要な意味を持ちます。イエス・キリストは、自らを十字架にはりつけにした人に対して
「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているかを知りません」
と神に赦しを祈ったと聖書にしるされています。
「汝の敵を愛せ」という言葉があります。ガンジーやマザーテレサ級の広い心が必要だと思います。
相手を許すには
今回紹介する動画は相手を許すためには何が必要かを教えてくれます。教師にとっても考えさせられる動画です。ぜひご覧ください。
動画の解説
①相手がなぜそのような態度を取った理由を考える
まず初めに相手がなぜそのような態度を取ったのか分析する必要があります。人の行動の背景には必ず理由があるからです。
- 大きな声で怒鳴るのは、自分の感情が相手に伝わらない苛立ちからかもしれません
- 汚い言葉を使うのは自分の感情を表現できないからかもしれません
- 言葉遣いがひどいのは親から同じような言葉遣いをされてきたからかもしれません
このように相手の行動の背景を考える必要があるのです。一番苦しんでいるのは自分の感情をコントロールできず叫びまわっている本人なのです。
②自分も知らないうちに他人に許せない行為をしている可能性があることを知る
人は、知らないうちに相手を傷つけていることが多分にあります。特に発言力の強い教師はこのことを深く理解する必要があります。
生徒が悩みを打ち明けたとき
「大丈夫、大丈夫。そんなこと大した問題じゃない。悩む時間がもったいない」
勇気づけるつもりでいったこの一言が、真剣に悩んでいる子どもを追い詰めてしまうこともあります。
特に男性の教師にこの傾向は多いです。共感的理解が大切です。
「しんどい」と言われたら「しんどいなぁ。」
「つらい」と言われたら「つらいなぁ。」
「悲しい」と言われたら「悲しいなぁ。」
一度相手の気持ちに寄り添ってあげてください。この相手に寄り添うたった一言で子どもたちは安心することができるのです。
相手を許すことで人生はとても穏やかになる
相手を許すのは何のためか?私は自分のためだと思います。「情けは人の為ならず」と同じです。誰かを許せない時、その人の感情は常に不快なモヤモヤに包まれています。苛立ち、腹立たしく、何を食べてもおいしくありません。怒りに心が囚われています。許すことは、自分の囚われた心を怒りという牢屋から開放することです。このことに一人でも多くの子どもたちに気づかせたいものです。
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