人間には生まれながらに「快•不快」の感情をもっています。赤ちゃんは、快を求め、不快を退けようとします。赤ちゃんは、笑ったり寝ることで母親に「快」を伝えます。泣くことで母親に「不快」を伝えます。感情が母親とのコミュニケーションの発端となるのです。
- お腹が減る→不快なので泣く→ごはんをもらえる→快(不快の排除成功)
- 眠いのに寝られない→不快なので泣く→抱っこしてもらう→眠れる(不快の排除成功)
- 足がかゆい→不快なので泣く→母親に薬を塗ってもらう→かゆみが無くなる(不快の排除成功)
このようにして、赤ちゃんは泣くことで不快を排除できることを学びます。
逆に「快」のときは「笑う」ことで母親に快であることを伝えます。しかし、赤ちゃんにとって快と不快では「不快」を伝えることの方が大切です。不快を伝えられないと命に関わるからです。赤ちゃんは生まれながらに生きる術を知っているんですね。
では、泣いても不快が排除されないと赤ちゃんはどのように感じるのでしょうか?最初の内はより大きな声で泣きます。母親に不快を伝えようとするのです。それでも対応してもらえない場合、赤ちゃんは
「泣いても母親は対応してくれない」
「泣くことで体力が無くなる」
ということを学んでしまいます。すると赤ちゃんにとって
「泣くことは無駄である」
となり、感情はコミュニケーションに使えないということになってしまいます。このような状況で赤ちゃんは生きるのに不可欠な「不快」という感情を捨ててしまうのです。
赤ちゃんが「不快」ということに感情を無くした場合、反対の感情である「快」という感情も同時に失います。
赤ちゃんへのDV、核家族化、離婚、母親の肉体的•精神的ストレスの増加、など赤ちゃんを取り巻く環境は難しいものになっています。経済大国、先進国と言われる日本においてこのような事態になるのは悲しいことです。このような過酷な乳児期を過ごした子どもは大人になっても感情がうまくコントロールできないなど感情に課題をかかえてしまうのです。
これは、「感情の未分化」というよりは「感情の喪失」ですね。しかし、このような「快•不快」の感情まで失うケースは稀です。
今増えているのは感情の分化がうまくいかない子どもだと思います。ここからは感情がどのような手順で分化していくのかを考えていきたいと思います。
快は成長過程で喜•楽になります。
不快は哀•怒になります。
では、子どもはどのようにして
この快は喜、この快は楽、この不快は哀、この不快は怒と学習するのでしょうか?
まず、快•不快で先に分化するのは「不快」です。これは上に書いたとおり不快の解決は命に関わることだからです。
不快を哀と怒に分化させる鍵はやはり母親です。
母親の感情の分化における役割
感情の分化は幼児期に始まります。例えば砂場で友達にオモチャを取られてしまいます。子どもは不快を感じ、母親の所に行きます。
ここで質問です。
あなたが母親なら子どもになんと声をかけますか?
実はこの声かけが後の子どもの感情形成に大きな意味をもつのです。
(母親が哀しそうな顔で)
「オモチャ取られちゃったかぁ。哀しいねぇ。こっちで違う遊びをしよう。」
(母親が怒った顔で)
「オモチャ取られたか。それはおかしい!怒るところだ。取り返しに行っておいで。」
子どもは「不快」という感情を母親にもってきます。すると母親がこの不快は哀なのか怒なのかを判定して子どもに伝えます。この繰り返しが感情を作り上げるのです。また、母親と父親の会話はども子どもの感情形成に大きな影響を与えます。怒りっぽい子どもは怒りっぽい人が多い環境で育っていると言えるのです。
正解不正解があるわけではない
母親の答え方に正解があるわけではありません。しかし、不快を怒ってばっかりの母親の場合、子どもも不快のほとんどを怒という感情として処理してしまい、怒りっぽい子どもになります。また、いつも不快を哀しいと伝える母親では不快を哀と処理してしまい自信のない子どもになります。戦争の平和学習をした後、哀しむ生徒がいる反面、怒っている生徒がいるのはこのためですね。大切なのはバランスです。怒りを持つべき場面、哀しむ場面を正しく教えて行くことが大切なのです。
不快を怒•哀に分化させるのと同様に快という感情も喜•楽に分化させます。ただし、母親の影響が大きい怒•哀の分化と異なり、喜•楽の分化は経験によるところが多いように思います。赤ちゃんの感情である快に近いのは楽です。心地よい、楽しい気持ちです。つまり、楽の方がより原始的な感情だと言えます。「楽」という感情から「喜」という感情を分化させるのです。前回「喜」は、「可能性が低い」「予測困難」な事象を達成するときの感情であると説明しました。楽に苦しみは伴いませんが喜には苦しみが伴うのです。しかし、喜は苦しみが吹き飛ぶほどの快感物質を脳に放ちます。
- 受験勉強は辛く苦しいものですが、合格したときの喜びはとても大きいです。
- 部活の練習は辛いですが、試合での勝利は大きな喜びです。
このような快感を幼児期に経験したかどうかが、「喜」の感情の分化に必要不可欠です。
小さい頃であれば
- 積み木で大きなお城を作ろうとする→なんども崩れてしまうが諦めない(苦労)→完成→喜(快感物質発生)
- お母さんのお手伝いをする(苦労)→達成→褒められる(快感物質発生)
- ひらがなを覚える→親や先生に褒められる→喜(快感物質発生)
- 自転車に乗りたい(欲望)→練習(苦労)→自転車に乗れた(快感物質発生)
などが「喜び」の感情につながる経験だと言えます。
幼児の積み木のお城作り、パズル遊びなどは「喜」という感情を分化させる最高の経験といえます。親は横から手を出して完成させてはいけません。どうしても手助けが必要な場合は
子どもにバレないようにする。
最後の完成場面は子どもにやらせる。
この2点を守らなければなりません。まさしく、大村はま先生の「仏の手」ですね。残念なことに喜びを分化させる積み木遊びやパズル遊びがテレビやスマホに取って代わられようとしています。電子機器が子どもの経験を奪っているような気がします。
喜びの基礎を形成する
幼児期にこのような経験をして喜びの基礎を作った子どもは、次に親や他人の役に立って喜びを得ようとします。お母さんのお手伝いをしようとするのはこのためです。親としては「食器を割るのが心配」「結局二度手間になる」など気疲れしますが、子どもの「喜び」の分化のためには、この機会を教育のチャンスとして捉えてもらいたいです。お手伝いの後には結果に関わらず「ありがとう」「◯◯ちゃんのおかげで助かった」と労をねぎらってあげてください。子どもは「喜び」を感じるはずです。ここで「余計なことはしないで」などと言ってしまえば、子どもら二度とお手伝いはしたくないとかんじます。子どもは「喜」を生み出せず、「楽」ばかり追い求めるようになってしまうのです。
母親のお手伝いなどで他人に役立つことで喜びを得ることに成功した子どもは、親以外の他人の役に立とうとします。
子どもの将来のためにも小さい頃から、感情教育をしっかりしていかなければいけないと改めて感じました。